このように日本文化に多大な影響をあたえた志賀直哉の小説ですが、『暗夜行路』を除けばほとんどが短編小説で、だれにでも手軽に読める作品が多いです。 「じゃあ好きなのケンカ?」ときかれれば、うーん、じゃれ合いのケンカならね。
もっとかくして志賀を天衣無縫と形容したのは、天真爛漫というだけでは十分ではありません。 もう少し詳しく書けば次のようになる。
もっと(昭和3年6月に九巻本全集の巻末に「創作余談」として収録されたもの。 「小説の神様」と称される志賀直哉(1883~1971)が描いた未公開の油彩画が、9日に一部再開される千葉県の我孫子市白樺文学館で、同日から展示される。 歳が十一才しか離れていなかったこともあり、姉のような感覚で慕っていたと考えられる。
もっとその即物性というか即興性を天衣無縫と言われたのかと思いますが、本来天衣無縫というのはある意味世間体に頓着しないということですので、少し違うかとも思います(武者小路実篤の方がそれに近いのではないでしょうか)が、おっしゃることは理解できます。 つまり、対象人物や対象となる形象となる自然などの形象がちがったものとなってきます。 回答の方も読ませてもらうね。
もっとそして真剣な小江の気持ちをもてあそんだ自分に嫌悪も感じるのです。 「気分」による彼の行為が恣意的であるどころか絶体絶命であったように、その視覚もいわば絶体絶命なのである。 」と言い切れたものが、他との交わりにより自らの中で、同意できるところと同意できないところが浮かび上がってくる。 西郷竹彦氏の視点論では、この「内の目」で「文芸作品」を体験することを、「同化体験」とよび、「外の目」で体験することを「異化体験」と呼ぶ。 しかし、ここで敢えて「初期作品」として『或る朝』を選んだのは、やはり自身が「処女作」として数えるほど、作家・志賀直哉にとって大きな意味を持っているためである。 白樺派が好きな人には、「告白」はお奨めです。
もっと『衣食住』という本で、志賀は食について「毎日三度、一生の事だから、少しでもうまくして、自分だけでなく、家中の者までが喜ぶようにしてやるのが本統だと思う」と書いている。 江藤はここで、明治期の自己抑制の倫理を「平面的」、大正・昭和期の倫理を「垂直的」と呼び、前者において「自己と同一の平面に存在する人間としての他者が意識される」のに対して、後者は「自己の絶対化を目的」とし、前者が漱石によって代表されるのに対して、後者は志賀直哉によって代表されると論じている。 うん、遊んでる。 でも、私は、ことの発端は、有名な、太宰と井伏鱒二との確執のような気がします。 武者小路実篤と比較してみましょう。 氏においては、たとえ八〇何文字の長文であっても四つまたは五つの文が、ただ煉瓦のようにつみかさなっているにすぎないから、非常にブツブツしたいくつものピリオドが、一つの文にふくまれるわけである。
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